すっごい秘訣に気づいてしまった。。

 

 

すっごい秘訣に気づいてしまった。。

 

俺は常々、リアルでないとおもしろくないよなぁというようなことを思っていて、実際そういうことを人にもよく話す。

 

俺は歌うのが好きなんだけど、この前歌ってるときに、「あれ?そもそもこれこそ、もっとリアルにやらないと」と思った。表現の類は特にそういうものの差が顕著に出る。(岡本太郎美術感とかリアルの極み

なんか嘘くさいな〜と自分で感じる時は、実際に自分とそれ(表現)が繋がっていない。そういう違和感って考えたことはなくとも誰もが一度は感じたことがあると思う。

(話は戻って)

そして、もっとリアルに歌ってみようと思った。 人に偉そうに言ってるくらいだから自分がやらないと話にならんなと思って。

でも、さて「リアルにやる」ってどうやるんだろうな?と思った。

感情を表現する?

感じてみる?

今ここにいてみる?

リアルさってなんやねんと思った。 いつも言ってるくせに。

 

そこでそうこう試しているうちに気づいたわけだ。

歌=俺

っていうのが一番リアルなんじゃないかと。

つまりどう歌うか、どんな自分で歌うかじゃなくて、歌に「自分を込める」という行為をする。

これに気づいた瞬間とてもびっくらぽんだった。

 

俺は特に話したり書いたり歌ったり、言葉を介した表現がとても好きだし、本当に長年こだわってやってきているので実際かなり得意だと思っている。

なのでうまくいったこともいかなかったことも多々あって、その違いは一体なんだろう?ということを考え続けてきた。 うまくいくとき、というのは「伝わってるな」ということがリアルタイムでわかる。

おもしろいことに、書いているときもリアルタイムでわかる。「こりゃ、バズるな」と思う。(そして実際バズる)そういうときのことを俺は「鮮度を保つ」という表現で捉えていた。その瞬間の自分の感じをそこに込められたな、と思うときに、それは人前に出す以前にもう「伝わるもの」になっているのがわかる。

真空パックにしたら鮮度が保たれるな、と食べる前からわかるのと同じ。

 

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話しているときも、「なーんか今上ずってるな」ということに最近は出来るだけ早く気づきたいと思っている。

俺なんかもうペラペラ上手に話せてしまうものだから、よく自分自身を置き去りにしてしまう。上手に言葉だけが並べられていくけど、そこには何もない。そんなときの自分の話は懺悔をこえて死にたくなるらいおもしろくない。でもそこに自分があるときは、言葉足らずとも伝わる。

 

そんでもって、それに対する今までの俺の解決策は「自分でいる」ということだった。 大きく見せたり卑下したりせず、等身大でいようと思うことでそれはある程度防げると思っていた。

同時にそれでもまだまだ足りないなと思っていた。 今ならわかるんだけど、それってまだ「自分」にこだわってるからなんだ。

 

そうじゃなくて、自分を忘れて表現そのものと一体になる。っていうことが真骨頂なんだと思った。

表現=自分という状態。文字=自分。言葉=自分。歌=自分。 それがそのそれ。

つまり、俺は俺らしく歌うのではなく、「歌という自分」そのものを目の前に人に届けるというわけです。

こりゃーたまげた!世紀の大発見!

 

「俺そのもの」が伝われば、相手と繋がらないわけがない。だって俺が100%直航便で相手のもとに行くわけだから、それで全てが完結しているじゃないか。  そういう感覚で文章を書けばいいし、 そういう感覚で人前で話すことができたら、もっと多くの人とリアルに繋がれる。

なんてこったです。

 

ちなみに、この行為と自分が一体になることを心理学ではフロー状態といって、超集中状態で疲れも感じず、ずば抜けた成果が出ると言われている。

禅でたどり着くのもこの境地で、黒子のバスケ的にいうとゾーンに入る、ということです。

そういうことが大好きで昔からたくさん文献を読み漁ってきたのだけど、どんどん体感出来ることが増えてきた。

 

でもわかった瞬間とできなくなる。わかった通りにやろうとするから。

それはリアルじゃない。

 

探究はつづくのでした。