昔の先生たちの持つ、行間

俺は、昔の先生方のお話や本が好きだ。

小学校の先生をしているとき、よくベテランの先生がふる〜い本を教室のうしろに積んでいたりした。印刷してある字体を見るだけで、古い本だとわかる本。ぱらぱらと読んでみると、その中には子どもと大人のやりとりがとってもリアルに書かれている。リアル、というのは具体的、ということではなく、その場の温度がそのまま書いてるということだ。そこにその人がいる。

子どもとのやりとりは、そういう五感のあるものだと思う。一緒に匂いをかいだり、大きな音を聞いて驚いたり、触ってみたり。泣いたり、怒ったりも含めて、その場に一緒にいる、一緒にいた、そんなことが彼らと一緒に成長していくってことなんじゃないかと思う。

今の教育や社会のあり方って、コンクリートで、それゆえにいくらでも優しさを捨てられる、そんな側面がある気がしている。より正しいこと、より強いこと、よりできること、それが絶対であるような風潮の中で、それを武器にすれば、いくらでも人に当たっても許される。という法律が成り立ってしまっている。

大好きな先生のブログを読んだ。そこで書かれている言葉は言葉数こそ少ないものの、どんな立派な論文よりも1つ1つの言葉に情報量が詰まっている。その言葉を書いたときの先生の顔や、会ったことのないかつてのその子たちの感動が伝わってくる。教育って、何よりもこういうことだな。と感じた。何が良い、正しい、そういうことじゃなくて、その”こういうこと” というその感じそのものを共に味わえることだなと思った。

「綺麗事言う前に賢さ強さをまず証明しなきゃ」なんて脅迫みたいなこと、もう続けなくてもいいんじゃないか。みんな、辛かったんだろうと思う。だからこそ、もういいんじゃないか。もっと別の方法を考えてみたい。

それでも、今この瞬間もそれでも全てのものや人が良くなろうとしているし、実際になっている。そしてこれからはもっと良くなる。これからのことを考えていくときに、かつての先生たちの持っている行間って、ものすごく示唆のあるものなんじゃないかなと、俺は思う。