在るべきところにいて、やるべきことをやる。

 

在るべきところにいて、やるべきことをやる。

 

そういうことが人生においてとても大切なんじゃないかということを、今年に入ってすごく思うようになった。

これはとても重要な気づきだなと思ったので、最近考えていることをまとめてみることにしました。

 

ほしいもの、やりたいこと。

有名になることとか、きらびやかなもの。

そういうものは人間のエゴを上手に刺激して、たくさんの注意力をそこに使わせる。

そして実際にそれを手にしたときに大きな高揚感を感じる。

それを人に話せば、賞賛や羨望が手に入る。

 

 

そしてその類の高揚感のあとには、連なって虚無感が訪れる。

日が昇ったらまた沈むように、その二つは合わさって訪れて、

そしてそれを埋めるようにまた次の高揚感を追いかける。

さて、次の目標は何にしようか・・・

 

果たしてこれは本当に自分を幸せにしているんだろうか?

 

根本的なこと、本質的なこと、原理原則。

老子の本を最近読んでいて、「無為自然」という言葉をよく考える。

 

「無為」とは、「何もしようとしないで」ということ。それはつまりぼーっと突っ立ってる。ということじゃなく、

無理やりそれをコントロールしたり、無理に合わないものを収めようとしない、ということ。

在るべきところにいて、やるべきことをやる、というのは即ち、義務や強制ではなくて、自然なところにいて、自然なことをする。ということ。

違和感のないところ。無理のないこと。

謙り(へりくだり)や自負がないところ。

 

自分にとってのそういうコトを体感的にわかって生きている人が、世の中にはいる。

そういう人の話は、とてもおもしろい。エゴの太った話や、装飾品がジャラジャラついたような話をしない。

その人のすべきことを話す態度はとっても本質的なところをつかんでいて、深いところを共有してもらっている感じがする。

その人がビジネスをやってようが、アートをやってようがスポーツをやってようが、そこには確かな共通点があって、結果その人はいわゆる成功者であることが多い。

 

そして、これからそういう人がどんどん増えていくような気がしている。

自分にとって違和感があることから離れて、本当にただ自分を生きることだけで周りにとっての幸せになってしまう。そんな場所があることに、どんどん気づいていくようになる。

そういう世界では、「為そう為そう」としていることが、逆に窮屈さを生んだり、不自然さを生むようになるだろうなという気がする。

 

在るべきところにいるために、自分の純度を大切にして生きていく。

そういう自然な人と過ごすのは、それだけでとても心地のいいことです。