自分らしさとリーダーシップ

 

しんどい時期がこの1年くらい続いてたのだけど、だんだんそれが変化しようとしてきているので、ここらへんからできるだけ残しておこうと思う。

きっとこれからまた同じようにチャレンジをするときに、何かの役に立つから。

 

 

今回、Teach For JapanのCEOになったことというのは自分にとって本当に大きな大きなチャレンジだった。

 

それはTFJがすごい組織だからとか、社長になるから、とかそういう表面的な理由ではなくて、「ここでどれくらい自分らしくいれるのだろうか」という観点で、かなり難易度の高い場所に突入することがわかっていたから。

 

自分らしく生きるということと、「自分を許容されないかもしれない環境に立つ」ということは、真逆のことを指している。

 

「身勝手ではいけない」

「こうあるべき」

 

だから周りを気にする、バランスをとる。

 

こういうことをしてると自分を「調整のためのネジ」みたいな使い方をするようになる。

 

どんどん色がなくなって、軸がなくなって、バランスを取ろうとする。

そして自分自身が、不安定になりパワーが出なくなって行く。

 

こうして自分が死んでいく。

 

 

これは2年間の教師経験での失敗にとても似ている。

 

 

先生になると、どこかで「先生らしくしないといけない」と思う。

 

そうすると、言葉や態度にどこか”ふり”が出てくる。

 

自分は腑に落ちてないのに伝えないといけないことや、言いたいのに言えないことが増えていく。

 

こうした信念の通っていない言動は、根底には「恐れ」があって、それを避けるためにその場その場で頭を使って「あるべき」を追おうとする。

 

こうなると、一つ一つの言動が徐々に一貫性をなくしていって、混乱を生み、最終的に人がついてこなくなるという負の連鎖を起こす。

 

 

大切なのは、自分を大切にしながら先生という「役割」を果たすこと。

 

「教師」はアイデンティティではなくて、役割だから、自分が別の自分になる必要なんてない。その2つは両立する。

 

そもそも、どこまでいっても自分は自分だ。

そして自分の自然体で持っている信念を大切にすることができたら。おのずと言動には一貫性が出てくる。そういう正直さは人を惹きつける。

 

何より、自分でいるからこそ伝わるメッセージがある。

 

役割だけをこなすのなら、他の誰でもよかったことになる。

その人が先生をやる意味なんてない。

 

こういう仕事こそがAIに取って代わられること。

 

人間性や感性がないことは、最終的に代替可能な労働力にカウントされる。

つまるところ、感性を活用して成果を出すこそが究極の個別具体性になる。

 

 

そう。

 

 

なので俺自身も、「代表として」とか考え出した時点で負けている。半分合ってるけど、半分違う。

 

頭ではわかっていたのだけど、「周りからの目」みたいなものの力って、数が増えた分だけ強く働く。これが大変。

 

自分では「自分らしくやろう」と思っていても周囲は「いやいや何言ってんだよ」という。この音量が大きければ大きいほどストレスは大きくなる。そして「あ、そうなのかな」と思い始めてどんどんぶれていく。

 

こういうことが大なり小なり、いろんなところで起こっているんだろうと思う。

 

そしてその妨害電波はチャレンジが大きくなれば比例して大きくなる。

 

 

そういうときに大切なのは、「それでも自分らしさを信じる」ということ。

 

そしてそれを信じてくれる人を見つけるということなんだと思う。

 

俺はそういう人のおかげで本当に何度も救われた。

 

まだまだだけど、もう負けないぞと思えるところまで、やっときた。

 

そして、俺も誰かのらしさを信じきれる人でいたいと思う。それをエンパワーして、人間らしく生きれる人を増やしたい。

 

リーダーシップは、技術じゃなくてあり方で、それを支えるのは「信じる」というパワーなのだと思う。

 

 

おわり