子どもたちと、先生のこと。

この前、奈良で小学校の先生をしていたときの教え子と会った。

みんなもう中学生になっていて、身長も自分より高い子もいたり、それらしく大人びる感じも漂っていて、なんだか総じて微笑ましかった。

色んな子が、それぞれの生活を体験していて、今になって自分が教師をしていた頃を振り返って思うことがあった。

俺は先生をやってた頃、「白田先生のクラスは楽しかった」と言うような言葉を言われることに対して、色んな気持ちを抱いていた。そんな風に言わせる子どもを育てていいのかいな、と。他の学年になったらおもしろくなくなってしまうようではだめだ、とか、自分勝手だとか、平等性がとか、やんややんやと、誰に言われたわけでもないのに一人で色々考えていた。

正直言って嬉しい気持ちもあり、同時に複雑でもあった。

でも、この前会ってその子たちと話しているうちに、別にそれでもいいのだな、と思った。

子ども時代の中に、めっちゃ楽しかった一年があった。それってすごい素敵なことじゃないか、と思った。とってもシンプルな話だ。

「先生に依らず、いつでもどこでも、自分たちの力でその場を楽しい場所に変えたり楽しむ力をつける」というのは、言うのは簡単だ。

だけども、どこでもそれができるほど、今の世の中がイージーなゲームじゃないことだって想像がつく。(それ自体を変えたいのだけど)

「あの楽しかった一年」がいつまでもその人を支えることだってあるのだな、と思う。それが、人を信じようと思う気持ちを支えることだって、ある。最高だった一年は、俺の人生だって支えてる。たくさん笑って、一緒に泣いて、それが今に生きている。

こんな自分が「教え子」というものをもって、こんな風に語るのも、なんだか自分で笑えてしまうのだけど、やっぱり教え子は教え子だし、大切な教え子だなと思う。

幸せに、人生を味わって生きていって欲しいなと思う。

そしてそんなことが安全に楽しめる世界をつくりたい。